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万治の石仏誕生の由来

一説によると明暦3年(1657年)、諏訪藩の第三代藩主諏訪忠晴が、
諏訪大社下社春宮に石の大鳥居を奉納しようとした時のこと。
命を受けた石工がこの地にあった大きな石を用いようと
ノミを打ち入れたおり、はからずもその石から血が流れ出た。
驚き恐れた石工達は大鳥居の造作を止めた。
その夜、石工の夢枕に上原山(茅野市)に良い石材があると告げられ、
そこで良材を見つけることができ、大鳥居は完成した。
 石工達は、あらためてこの不思議な石に阿弥陀如来を刻んで
供養したという。

石仏の いわれを秘めて 秋の月(句:新田次郎)

伝承によると、春宮の大鳥居は諏訪忠晴が万治二年に寄進したと いわれているので、石仏に刻まれた万治三年と時期は合う。

この石仏建立願主は、名号碑の左袖に右記のように刻まれています。
この石仏を祀った時、胴体部分と頭部分が現在違ったイメージにうつるのは、
一部未完成によるところから察せられたものと思われますが、
この違いの考えについては未だ解明されず、謎となっています。
(願主の碑名から、願主は浄土宗の僧侶と思われます。)